「地下光学」展

11/18よりグループ展が始まります。

今回はじめて本格的に映像作品に取り組みました。正直、ほとんど初めてのことばかりで、本当にたくさんの方に助けてもらいました(今もまだ)。

個人差は当然あるものの、子供はだいたい一歳前後からしゃべりだすと言われているそうです。

昨年から発声や発話のことに興味をもって制作をしてきたこともあり、一歳前後の子供たちが声を発する映像を撮り、別の映像と組み合わせたインスタレーションをつくっています。撮影したのは少し前ですから、映像を見たら懐かしいと思うくらい、今頃子供たちは成長しているんだとと思います。お忙しいなか、快く家での撮影につきあってくださった10組のご家族、紹介してくれた友人知人に感謝の気持ちでいっぱいです。

この展覧会に誘ってくださった田島鉄也さんは、中之条ビエンナーレで知り合った方ですが、いつも作品が大変するどく、また、フーコーの読書会でもご一緒して、お話するたびに刺激をもらえる尊敬する作家さんです。彼が書いた「内在光(目を閉じて瞼を押したときに感じる光)」についての説明から始まるステートメントもまた、たくさんの発想を私にもたらしてくれました。

websiteもあるので、ぜひご覧ください。

https://chikakougaku.wordpress.com

-会期: 2016 年 11 月 18(金)-27 日(日)  ※21、22日は休み

-時間: 12 時~19 時 (最終日は 17 時まで)

-会場: アートスタジオ Dungeon(ダンジョン) アクセスはこちら

◆ 11月27日(日) 14:00~ ギャラリートーク (その後、作家を囲んでの懇親会)

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-06-18-05-42

sukusyo

アーティストトーク

img_2923

新城市での展覧会も日曜までとなりました。制作中は真夏の日差しだったのに、先日行ったら秋の光に。どこか落ち着いた作品に迎えられて、作った本人なのに訪問者のような気持ちになりました。
最終日はトークで作家が全員集まります。昨年出展された升谷さんもスカイプで参加されます。

少し長丁場ですが、それぞれ作品のことや、今考えていることなどをお話しできたらと思っています。来ていただいた方ともお話しできるのも楽しみにしています。

お天気も回復するようなので、ぜひお出かけください!

http://kadoya-art.com

日時 : 10月2日(日) 10:30 – 12:00/13:00 – 15:30
アーティスト自身による作品解説
・10:30 - 鈴木孝幸
・11:00 - 丸山勇樹
・11:30 - 名倉達了
休憩(12:00 – 13:00)
・13:00 - 山口貴子
・13:30 - 大和由佳
・14:00 - 山口諒
・14:30 - 山田沙奈恵
・15:00 - 升谷絵里香 ※2015年参加作家。ビデオ通話による活動報告を予定。

今は夏と秋の展覧会に向けて毎日を過ごしています。

夏は昨年も参加した愛知県の鳳来寺山のふもとでの展覧会

秋は久しぶりの都内、板橋での4人展。

準備は早めに進めているつもりだったけれど、結局慌ただしくなっています。

制作にも生活にもいろいろなことが起こり、作品を感光している横で、意味もなくスニーカーを洗っていたりします。

最近は「声」にフォーカスすることが増えてきました。秋の作品では赤ん坊のまだ言葉にならない声を作品のなかで使います。

制作に靄がかかってくると、いつも立ち戻るのは、言えなかった言葉が体の中をのたうちまわって染み込んでまた体に戻っていく、その熱さのところ。

DSC01391

 

 

milkeast

八丁堀にあるmilkeastでの展覧会は無条件修復二、三期と、最後となったSelf-Reference Reflexology展だけしか見られなかった。他人の展示場所なのに、これが最後なんだな、と今まで抱いたことのない気持ちを抱いていることに、帰り道に気づいた。

どの展示も面白く、居心地がよかった。三回中二回、近所の女性らしきひとがにこやかにあらわれて、作家さんと立ち話をしていた。その人懐こいようすに私までなぜか話しかけたくもなるけれど、まあやめておく。
展示会場の二階にはじっと変化を待ちたくなるような作品がいくつかあったので、よけい感じたのかもしれないが、いたいだけいられるし、帰りたいときに帰れる、適当な時間をここで過ごしているという心地よさがあった。同時に、すべてを見切れていない(私が来る前から作品はそこにあり、帰ったあともそこにある、変化をたっぷりと伴って)という足りなさを一緒に味わうことにもなる。なにしろ、植物が作品だったりするので、そういう意味でもすべて見届けるのは難しい。
見切れていないと思いながら、なぜ、よい展示などとも口にできるのか。帰り道そんなことも考えていた。時間をかけなくてもイケてるとわかる作品というものはある。本当に自分が心が持って行かれているかは別として、そういうものについては、後からひとにも説明しやすい。しかし、milkeastでの作品はそういうものとも違っている。その見足りなさは、作家自身が試みに費やしてきたものの厚みや、私が背中を向けた瞬間に変化するかもしれない軽やかで移ろいやすいものの存在のものを、敬う、ちょっと上品すぎる表現かもしれないけれど、そんな気持ちに近い気がする。

もともとの物件の状態を知らないものの、おそらくかなり傷んで需要のなくなった家にたいして、作家たちが工夫を施し(それは通常の制作と境界のあるものではなかっただろう)、そして重ねた様々な試みを、あの建物は受け止め、多くを招き入れた。

良い展示というのは、そのオリジナリティーにとてもかなわないと圧倒してくる力だけでなく、自分でも始めたいと身の回りを見渡すことを促す力もあると思う。

あの不思議な共生のあり方を、私はこれからも覚えているだろう。

IMG_2400.JPG

ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ

数ヶ月前のことだが、ふじのくに せかいの演劇祭でウィリアム・ケントリッジ演出の舞台「ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ」が見られるというので、すぐにチケットをとった。G.W.に遠出をするのは久しぶり。airbnbで見つけた猫がいるお家に一泊することにする。4匹のアビシニアンとおいしい静岡おでんを作るミュージシャンの方が営む宿

当日はプレトークがあって、時間になると、一人の巻き毛の男性が、名乗ることなく紹介もなく、フロアの小さなな壇上にたたっと上がった。上演前の限られた時間なので、手際よくこの演劇が扱う南アフリカの真実和解委員会についての説明をする。話すのがうまいひとだなあ、と思っていたら、社会学者の大澤昌幸さんだと後で一緒に行ったひとがが教えてくれた。

配られたリーフレットには、キャスティングとともに、二つの文章が載っていて、それもとてもよかった。

ひとつめの、共同演出者のヤニ・ユングの製作ノートの冒頭には、自身が大学生のとき、「ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ」を南アフリカのナショナル・アーツ・フェスティバルで初めて観たときのことが書かれている。それは1997年のときのことで、マンデラ大統領が96年に真実和解委員会を開いて、公聴会は2年半に及んだということだから、完全にタイムリーで、渦中のなかでの演劇であったということだ。

”この作品を見られたことは、私の芸術上のキャリアにおいて決定的なものとなりました。この作品で、真実和解委員会が、マスメディアによる報道には全くできなかったような形で活き活きと描かれているのを見て、私は真実和解委員会における審議だけでなく、私たちの国が近年に経験したさまざまな出来事との間に、より深い感情的関係を結ぶに至りました。”

また、アフリカ英語文学が専門の溝口昭子さんの説明には、南アフリカという多民族国家がいかに「国民意識」を共有し、作り上げてきたかが簡潔にまとめられ、この委員会での公聴会の「演劇性」についての指摘がなされている。

”アパルトヘイト体制の支配者と被支配者が一夜にして「加害者」ち「被害者」となり、公衆の面前で「加害と被害」の過去を物語るとき、彼らがその役割を「演じている」わけではないと果たして言い切れるだろうか。”

この二人の視点はそれぞれ異なるものであるけれど、これらを読んで、私はフィクションとはどういうものなのかということについて、教えてもらった気持ちになった。この劇は、実際の出来事をベースにしているから、純粋なフィクションではないかもしれない、しかし、「つくりもの」がゆえに届くものの豊富さと広さ、「つくりもの」だからこそ、「真実」の危うさを目に見えるものにする鋭さというものがあるのだ。

劇内では、白人男性の役者が「ユビュ王」を、その妻を黒人女性が演じている。ケントリッジならではの視覚的な演出はそれほど際立ってはいなかった気がするが、恐れや欲望をけして脱ぎさることのできない、人のあまりの鈍重さを終演後もしばらく味わった。役者は、その体、声、血を差し出しながら、その役の人物をもっとも批評的に切り刻み続けてもいるのだと思う。

一方で、南アフリカの人形劇団ハンドスプリング・パペット・カンパニーが操るパペットも素晴らしかった。「空洞」の人形の動きや言葉は、軽はずみで節操がなく、人の重さとは対照的なその存在が際立っていた。

この演目しか見られなかったものの、ふじのくに せかいの演劇祭は、お客さんが簡単に呼べそうなエンターテイメント方向ではなく、この時代に伝えたいテーマをしっかりもった上で、それほど演劇に知識がないひとも魅了できるようなものを見せていこうという気概を感じた。

静岡は生まれた場所でもあるので、また来年も行けたらいいな。

(真実和解委員会については、「カントリー・オブ・マイ・スカル – 南アフリカ真実和解委員会”虹の国”の苦悩」という本が詳しいらしい。ぜひ近いうちに読みたい。)

 

 

ククブク

夫がMediumで書いているマガジンの表紙を描いてみました。

いろんな角度から外国の料理本の魅力を探っています。

ククブク

ククブク.jpg

絵の一部に自作のオブジェを使いました

spoon

咀嚼と登山