永原康史さんのブラックマウンテンカレッジ考

ÉKRITS / エクリでグラフィックデザイナーの永原康史さんが、BMC(ブラックマウンテンカレッジ)について連載をされているのを知りました。

ブラックマウンテンカレッジ考

永原さんが監訳された、ジョセフ・アルバースの“Interaction of Color”は、「アルバースの洗濯」の作品の構想を進めていくのにかかせない本だったので、その方がBMCについて書かれていると知れば、興味を惹かれないはずはありません。読んでいると、自分もそこに行って見たいという気持ちがこみあげてきます。エデン湖で洗濯したいという気持ちも。

そういえば、最近MOMAの出しているラウシェンバーグの分厚い図録を手に入れました。彼もBMCで学んだアーティストです。

私ときたら、そうでない時は諦めているだけ、という感じで、相変わらずやらないといけないことに追われて、生活も思考もちょっとグレー色な日々です。一度全て失われて復旧したウェブサイトをしっかり充実させたいし、人生半ばのこのタイミングで、作品資料も整理して、すっきりさせたいのに、手がまわりません。進めたいリサーチにも、湧いてくるアイデアにも、集中して手がつけられず。だめじゃん。みんなどうしているんだろう。もちろん工夫してどうにかしてるんだと思う。

あれ、謎にグチを書いてしまいました。「ÉKRITS / エクリ」のウェブサイトはとても読みやすく美しい。こういうサイトを動かして読むとき、とても思考がすっきりするので、すっきりしていない生活を逆に振り返ってしまいました。それはそれとして、永原さんの連載も楽しみにしていきたいと思います。


プリント

昨年のエアライト高知での滞在制作では、二つの杖作りの機会に立ち会いました。ひとつは自分が企画したワークショップ、もうひとつは住んでいた家の近所の小学校の授業でした。後者は、チラシの杖作りワークショップの記載を、たまたまご覧になった小学校の指導員の方に「うちも杖を作っているので見に来ませんか」とお声がけいただいて実現したもの。聞けば、高齢者が6割を超えるこの地区では、総合学習の授業で寄贈するための杖をつくっているクラスがあるとのこと。先生がなにか子供たちのヒントになるかもと、授業の時間まで設けてくださったのでした。杖をつくることじたい、子供たちが自分でし発案し、坂の多いこの地区のどこに置き杖をするか、地元の方に聞き取り調査をしたり、大工さんに作り方を教えてもらったりと、半年かけて進めてきたのだそう。使われる枝もまた、地元の方が杖に合いそうなものを切って準備してくれたという、まさに地域との協働によって作られたものでした。
ワークショップのほうも、直前までうまくいくのか不安でしたが、参加してくださった皆さんのおかげで熱気あふれる時間となりました。エアライト高知の西奥起一さんは、彫刻家でなんでも作れてしまう方なのですが、彼が技術面で皆さんとバリバリとサポートしてくださったのも大きかったです。あれこれ細かなことを予測するのではなく(参加されるひとの発想は、そんな予測を軽々超えていく)、自分が伝えられるのはどんなことなのか、見栄をはらず、本当に面白いと思う点をシンプルに抽出し、気持ちを高めるようなさりげないきっかけをつくり、あとは動きやすい環境を整えておく、それがワークショップがうまくいくかを決めるのだなと思いました。
この二つの経験は今までになかったもので、本当に嬉しく、また今後に生かしていきたいです。

今日ようやく、その時に作った杖の写真のプリントができたので、作った方に送ります。手のひらにのるサイズで、杖がすっくと立っています。紙ではありませんが、こちらでも発想豊かな杖たちを、ぜひご覧ください。

飯塚小玕齋展

先日、太田市美術館・図書館の「生誕100年 飯塚小玕齋展―絵画から竹工芸の道へ―」を見てきた。竹工芸についてなんの予備知識もなかったけれど、いつもながらのていねいで明瞭な解説と会場構成のおかげで、飯塚小玕齋という人間国宝となった工芸家の内面に思いに心を寄せつつ、その仕事の到達点の遠さに見とれるという体験ができた。
3階まであるこの美術館は、展示構成も大きく3つのセクションに分かれる。1階では、画家を志していた若い頃の絵(チラシに使われている座る女性を描いた卒業制作まで)と、家業を継ぎ竹工芸の道に進んでからの1950年代~1970年代、つまり30〜50歳代の作品が見られる。展示室の最初の半分に並んだ絵を見ると、描くことの喜びと欲求がストレートに伝わってくる。この道をあきらめなければ、熱心さを保ち、同時代の洋画家たちと同じように画家としての仕事に邁進したのではないかと思えてくる。しかし、そこを通り過ぎると、まったく異質の竹工芸の世界が広がる。初期の頃の作品は現存するものが少なかったりするようで、モノクロの記録写真といくつかの作品で紹介されている。びっくりするほど綿密で、知識のない自分は、こういうのが竹工芸なのかと思いながら鑑賞し始めた。自然物であるはずの竹が、非常な正確さで編み込まれて、技の凝縮といった感じで出来上がっている。技が高まれば高まるほど、竹であることを透明にしていくようなストイックな素材とひととの関わり方があった。網目のデザインが書かれたノートもあり、ちょうど最近興味があって見ていたAnni Albersのスケッチが思い出された。とにかく、あまりに急に世界が変わるので、これが一人の人間の身に起きたことだと思うと、その決断の大きさ(痛みを含む)のようなものが、他人の私にもずっしりと心に響いてくる。
2階には晩年に向かう、まさに円熟期の作品が並ぶ。これが素晴らしかった。素材と向き合い、「用の美」を追及していく時代だと、解説にはある。竹のしなりは、それを触ったことがあるひとなら、体感として知っていると思う。硬くもあり柔らかくもあり、かつ、節のある竹のパワーの質は、たしかにほかのものにはない特別なものだ。編むごとにそのパワーと出会い、つりあう力でそれを押し返したり、逃がしたりして、構想通りの作品に仕上げていく。だから出来上がったものにはパワーが殺されずそのまま残っている。弾ければいつでも元に戻りうる竹の力が、作品にみなぎっている。そんなことを感じながら、小さな彫像を見るように、展示台の周りをゆっくりまわっているうちに、緻密で緊張感があるのに、隙がしっかりあることにも気づく。つまりそれは花器なのだ。花を生けるというのがどういうことなのかまで、うっかり理解できそうな気持ちになった。

1階で竹の作品を見ている段階では、それがいかに絵画的な意識で作られていたのかが、私にはまだはっきり意識できていなかった。しかし、それが2階の展示を見ることで気づくことができる。1階の竹工芸と絵の仕事に、大きな隔たりを見ていたのに、実は絵を描くなかで学んだ美は、彼のなかではけして損なわれず、エッセンスとして彼の仕事を支えていた。それは生き延びようとしていた。しかし、絵画的な美は、竹工芸の仕事を極めていくなかでは、一度は切り捨てないといけないものだった。同じ竹を扱っているために見えにくいけれど、それも断絶としては深く厳しいものだったはずだ。画家から竹工芸家への転身するときとは違う形で、生涯、彼のなかで拮抗は続いていたのだと思う。

会場とカタログで紹介されている田中三蔵氏による当時の評が、まさにその拮抗についてのもので、これも作品を見るための手がかりとなった。時代のなかで、飯塚小玕齋の仕事の成しているものを鋭く評し、ひとがつくる美にはどういうものがありえるのか、その複雑さをそのままに掬い上げる言葉だった。

3階には、工房での仕事の様子の記録映像が展示されている。私が行ったときには、ちょうど老夫婦がそれを見ていて、どうやら、男性は職人さんのようでとても詳しい。ときどき奥さんにいかにこの技術が素晴らしいものなのかを、熱っぽく話されていた。その様子が実に誇らしげで、そうか、飯塚小玕齋の仕事がこのように紹介されることは、その道を歩むさまざまな職人の方たちの生きる道にも光をあてるのだと気づいた。

もうひとつ印象に残ったのは、この美術館のもうひとつの特徴である1階から2階に向かうスロープの空間だ。いつもどのような使われ方がされるのかひそかに楽しみにしているが、今回は萩原朔太郎の「竹」という詩が書かれていた。詩そのものは、飯塚小玕齋の仕事に直接関係あるわけではないが、だからこそ、身の回りの自然(竹)にさまざまに心を寄せ、思いを重ね、崇め、技を磨く、ひとという不思議な生き物のありようを表しているようで、とてもよかった。大きな文字で詩を読むというのも、声を出さずに音読しているように、いつもながらに気持ちがよいし、外からもこの詩は見えるだろう。この建物の中に入らなくても、外を通りがかるだれかに、詩が魔法をかけることもあるだろう。

お昼は、洋食カフェ・ド・セラに行った。以前行ったときは、うしおととりというラーメン屋さん。どちらもとってもおいしい。美術館の学芸員の小金沢氏のinstagramを見ると、おいしそうなところがわかるので、おすすめです。

お知らせ

サーバーの不具合で、大和のウェブサイトが一時的に見られない状態になっています。ご不便おかけしますが、しばらくたってからまた覗いてみてください。

なおりました! 2/14

向かう道、グレーの壁

5月から高崎問屋町のビエント アーツ ギャラリーで個展をします。
グレーの壁が美しく、ジュート布のキャンバスに下塗り無しで、オレンジのストロークを乗せた絵が似合いそうな空間です。そんな第一印象で展示してはいけない理由はどこにもないわけですが、あれこれ考えています。

駅を降りてゆっくり歩き、この街はこんなところかとひしひしと感じながらギャラリーに着きます。そうなると、展示空間とはどこからどこまでなのかなんて、だれにもわからないものだと思います。

イケムラレイコ「土と星」展

昨日は、幸運にも招待状をいただいたので、国立新美術館のイケムラレイコ「土と星」展の内覧会に行ってきました。エピローグから、原風景、有機と無機、ドローイングの世界、少女、アマゾン、戦い、うさぎ観音、山、庭、本、炎、地平線、メメント・モリ、コスミックスケープ、エピローグと、16のセクションに分けられた「インスタレーション」が展開され、40年以上に渡るイケムラさんの画業を、大きな円環ととして見ることができました。

ささやかな癖のようなものなのですが、私は、とくに油彩画を見るときに、西洋の巨匠と呼ばれるような作家の作品を頭のなかで横に並べます。どういう作品を選ぶかは、そのときどきですが、強度がある作品は、過去の作品と対等で、同胞のように通じるところが必ずあり、かつとてもオリジナルだと感じます。普段見ていいなあと感じる作品はあっても、そこまで強いものを感じることはけして多くはありません。イケムラさんの作品には、当たり前かもしれないけれど、はっきりとそのような見応えがあり、すばらしかったです。その作品世界はとても深く広大で、難解なものではないので、論理的な言葉で腑分けしようすると、かえって少し切れ味の悪い刃物で切っているという感じがしないでもありません。でもそれは刃物の問題ではなく、それくらい分別というものから遠くにある作品たちだからなのだと思います。それは本当にすごい仕事だと思います。この時期に見られて、とても得るものの多い、励まされる展覧会でした。

展覧会の最後にはインタビューの映像も見られます。80年代はドローイングの時代であったこと、そのときに、自分のなかにあるイメージを掘り起こしていく、アルケオロジーとしての仕事をして、それがその後の基盤となった、というようなことを話されていたと思うのですが、、それが心に残りました。全体的に、話されていた日本語でもよくわかりましたが、字幕の英語で、よりすんなり理解できる気がしたのも、面白かったです。クローズの時間がきて、全部見られなくて残念。

<カタログに寄せられたヴィム・ヴェンダースの文章から>
贈り物を渡される人だけが、
我々に何かを渡すことができるのだ。
Only those who are willing to receive gifts
can truly pass them on to us as well.

そして、今日はふたたび会場に行き、イケムラさんとバーゼル美術館館長の ヨーゼフ・ヘルフェンシュタインさんとのトークも聴いてきました。(二日続けて同じ展覧会に行ったのは、おそらく初めて。しかし、それくらい鑑賞というのはもっと時間をかけてするべきだとも思います。なかなかできないけれど。)二人が英語で話すにあたって、同時通訳機が配られたのですが、目の前のひとの声が聞こえなくなるのは、思った以上の違和感。なにも意味が入ってこない。かつイケムラさんの声が直接聞けないなんて、たとえ聞きちがいをしたりしたとしてももったないと感じ、けっきょく外して聞いて正解でした。英語で聞いたほうが断然わかりやすいという印象は、昨日のビデオを見たときよりも強かったです。英語、スペイン語、ドイツ語など、外国語と母国語との拮抗のなかで、思考はシンプルに強靭に磨かれ、情緒的であいまいなものでも、的確に言語化してきたからなのかもしれません。
異国の地で、生き抜くことはとんでもなく大変だけれど、それが感性を研ぎ澄ませてくれること、とても美しい文化や自然をもっている日本を愛しながらも、アメリカナイズされ、それを破壊しつづけるこの国の方向性に感じる葛藤、若い時代にスペインに行ったとき、そこに人間の生きる条件が揃っていると感じたこと、素晴らしいアーティストは知性的だけれど、論理からは自由であること、プランも技術の準備もなく突然始めることの自由さを愛していること。絵を描き出すとき、空間をつくるというよりも、表面にいかに線を置くかに集中し、そのなかに入っていくように描いていくこと、少女性のことなど。海外でがんばって制作している友人たちのことに思いをはせるとともに、絵のなかでなにを肯定し、強く求めていくかが、そのまま人生の哲学となっているイケムラさんの姿勢に、静かに感動しました。