イケムラレイコ「土と星」展

昨日は、幸運にも招待状をいただいたので、国立新美術館のイケムラレイコ「土と星」展の内覧会に行ってきました。エピローグから、原風景、有機と無機、ドローイングの世界、少女、アマゾン、戦い、うさぎ観音、山、庭、本、炎、地平線、メメント・モリ、コスミックスケープ、エピローグと、16のセクションに分けられた「インスタレーション」が展開され、40年以上に渡るイケムラさんの画業を、大きな円環ととして見ることができました。

ささやかな癖のようなものなのですが、私は、とくに油彩画を見るときに、西洋の巨匠と呼ばれるような作家の作品を頭のなかで横に並べます。どういう作品を選ぶかは、そのときどきですが、強度がある作品は、過去の作品と対等で、同胞のように通じるところが必ずあり、かつとてもオリジナルだと感じます。普段見ていいなあと感じる作品はあっても、そこまで強いものを感じることはけして多くはありません。イケムラさんの作品には、当たり前かもしれないけれど、はっきりとそのような見応えがあり、すばらしかったです。その作品世界はとても深く広大で、難解なものではないので、論理的な言葉で腑分けしようすると、かえって少し切れ味の悪い刃物で切っているという感じがしないでもありません。でもそれは刃物の問題ではなく、それくらい分別というものから遠くにある作品たちだからなのだと思います。それは本当にすごい仕事だと思います。この時期に見られて、とても得るものの多い、励まされる展覧会でした。

展覧会の最後にはインタビューの映像も見られます。80年代はドローイングの時代であったこと、そのときに、自分のなかにあるイメージを掘り起こしていく、アルケオロジーとしての仕事をして、それがその後の基盤となった、というようなことを話されていたと思うのですが、、それがとても心に残りました。全体的に、話されていた日本語でもよくわかりましたが、字幕の英語で、よりすんなり理解できる気がしたのも、面白かったです。クローズの時間がきて、全部見られなくて残念。

<カタログに寄せられたヴィム・ヴェンダースの文章から>
贈り物を渡される人がだけが、
我々に何かを渡すことができるのだ。
Only those who are willing to receive gifts
can truly pass them on to us as well.

そして、今日はふたたび会場に行き、イケムラさんとバーゼル美術館館長の ヨーゼフ・ヘルフェンシュタインさんとのトークも聴いてきました。二人が英語で話すにあたって、同時通訳機が配られたのですが、目の前のひとの声が聞こえなくなるのは、思った以上の違和感。かつイケムラさんの声が直接聞けないなんて、たとえ一個も意味がわからなかったとしてももったないと感じ、けっきょく外して聞いて正解でした。細かなところまで正確には聞き取れなかったかもしれませんが、英語で聞いたほうが断然わかりやすいという印象は、昨日のビデオを見たときよりも強かったです。
異国の地で、生き抜くことはとんでもなく大変だけれど、それが感性を研ぎ澄ましてくれること。素晴らしいアーティストは知性的だけれど、論理からは自由であること。プランも技術の準備もなく突然始めることの自由さを愛していること。絵を描き出すとき、空間をつくるというよりも、表面にいかに線を置くかに集中し、そのなかに入っていくように描いていくこと、など。絵のなかでなにを肯定し、強く求めていくかが、そのまま人生の哲学となっているその姿勢に、静かに感動しました。

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お知らせ

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今年もありがとうございました

2018年もあと3日。今年は4つの展示を作り上げることができ、1つの冊子を編めました。ひとりでは至らないことばかりで、まわりに助けてもらいながら乗り越えた一年でした。ありがとうございました。ほかにいくつか挑戦したかったことにも着手でき、秋ごろには、年末に一年を振り返ったらそれなりに満足できるかなと、実は思ったりしていました。

それで、今、振り返っているわけですが、満足にはいたらず、でもいつもの動かしがたい自己嫌悪みたいなものはなく、それはきっと良いことに違いありません。

まだやるべきことが全く納まっていないものの、昨日は二つの小山を登り終えたので、ちょっと早めにベッドに好きな本や雑誌を持ち込んで、読みながら寝落ちする喜びを味わいました。

MONKEYのだいぶ前の号(2014年)で、村上春樹が「職業としての小説家」という連載をしていました(もう単行本になっていますね)。第3回に「オリジナリティーについて」という文章が寄せられています。そこで、ある表現者を「オリジナルである」と呼ぶための基本的条件(すべて満たす必要はない)とは以下の三つが挙げられています。

1.ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体なりフォルムなり色彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(概ね)瞬時に理解できなくてはならない。

2.そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。時間の経過とともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっていることはできない。そういう自発・内在的な自己革新力を有している。

3.その独自のスタイルは時間の経過と共にスタンダード化し、人々の精神(サイキ)に吸収され、価値判断基準の基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。

村上さんは、これを軸にオリジナルってなんなのかをもう少し噛み砕きながら話を続けていきます。私は3についての書き方が面白いなあと感じました。多くの読書と翻訳で栄養を得ながら、とても長い視野で文学について考えている村上さんらしさも感じます。話のなかで、オリジナルと呼ばれるものが世に生まれ、そのなかのいくつかが古典となっていくその過程について、次のように書かれています。

ゴッホの絵や、ピカソの絵は、最初のうちずいぶん人を驚かせたし、場合によっては不快な気持ちにもさせました。しかし今では彼らの絵を見て心を乱されたり、不快な気持ちになる人はあまりいないと思います。〜それは彼らの絵がオリジナリティーを失ったからではなく、人々の感覚がそのオリジナリティーに同化し、それを「レファレンス」として自然に体内に吸収していったからです。

referenceという言葉の用いられ方がちょっと新鮮で、でも一度目を通したとたん、そんな気になってくるのが言葉の不思議です。そして、直接言及されているわけではないのですが、読んでいて思ったのは、ある作家を、ある営為を、良い、オリジナルだと感じたら、深く愛すことの大切さ。同時代のひとの多くに好かれるよりも、まず少人数でも誰かに深く愛されたかどうかが、残っていくためにはとても大切なのだということ。よく言われることではあるけれど、いろいろなものからレファレンスをもらってきた自分が、良い、価値があるから残ってほしいと思うものを、深く愛せているかなと、我が身を振り返りました。で、今朝ゲンロン友の会に入会したのでした。ゲンロン、がんばって。

少し話がずれましたが、新しい1年、どんな仕事ができるか楽しみです。簡単ではないけれど、そのいずれかが、少しでもオリジナルであることに近づけたらどんなに嬉しいでしょう。皆さんにも楽しみにしていただけたら幸いです。
お互い、多くの出会いと思索に、心が耕され、そこにふさわしいものが育つ一年でありますように。

富士山展2.0

2019年1月5日(土)から1月26日(土)まで、ブロックチェーンを活用しオンラインでアートを販売するサービスを開始するStartbahnが企画する「富士山展2.0−ザ・ジャイアントリープ−」に参加します。全国の様々な会場で一斉に開催されるこの展覧会で、私は六本木のGallery MoMo Projectにて、三点の写真作品を出品します。

ブロックチェーンを活用したこのサービスはまだ新しいもので、私自身も読み物を通して、情報としては知っていたものの、自分が実際にそのシステムを関わるチャンスがこんなにも早くくるとは思ってもみませんでした。私が今更いうまでもないですが、ブロックチェーンの考え方を知ったとき、世界を国家で分割している今の価値観を覆すものだと、とても驚き、初めは戸惑いさえ感じました。そのような指向、思想がここまで現実として育っていることじたいに揺さぶられるような思いをしました。
Startbahnの試みが、アートの販売において、実際どのような革新がもたらせるかはまだ未知数、というのが今の私個人の正直な気持ちですが、試みじたいを肯定し応援したいと思い、参加を決めました。

展覧会は名前の通り「富士山」をテーマやモチーフとした作品が集まっています。私は、過去に撮影した、富士山を登った三本の八角杖で、新しいプリントを作りました。1月5日17時からはオープニングパーティーもあり、賑やかそうです。この日のみ会場にいる予定なので、お時間ありましたら、お立ち寄りください。

彼(あるいは彼女)は富士山に登った/木曽呂の富士塚
彼(あるいは彼女)は富士山に登った/川口市郷土資料館
彼(あるいは彼女)は富士山に登った/川口銀座商店街

最近のククブク

夫が運営している世界の料理本を紹介するククブクで、毎週金曜日にcookbookの売れ行きランキングを紹介するコーナーがあるのですが、昨日で100回目を迎えました。料理本というと、日本ではレシピを作る技術のシェアという実用的な面が前にでている感じがありますが、世界中の料理本を眺めていると、作れるかどうかというよりも、人間という文明をもった生き物の営みの面白さに、爽快な気分になって、今日もなにか自由に作って食べてみようかという気になります。夫も、記事を書くなかで、料理本についての考えが変化しつつある模様。ほぼ毎日アップされるので、読んでいないとあっというまに溜まってしまいますが、とくに面白いなあと思う記事など、またご紹介できたらと思います。

今回は、100回目の金曜日に、祝アニメーションを寄せました。記事とともにご笑覧ください。→金曜日のcookbookランキング
noteのアカウントをお持ちの方はこちらから(同じ内容です)→ククブクの味見

帰宅

 

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一ヶ月の高知県香北での滞在制作と展覧会が終わり、無事帰宅しました。

家に着くとほったらかしていたサフランが「勝手に咲いていましたけど、どなた?」といった風情で、だらりと迎えてくれました。こうなると、パエリアも作れません。

さて、滞在の様子を毎日書く姿勢を見せていたこのブログ。次々に起こるあれやこれやを乗り越えているのに必死で、早々と挫折してしまいました。情けない。。しかし、本当に多くのことに恵まれた日々でした。天候ひとつとっても、何かに守られていたように、晴れが続き、風が吹き、いよいよ空気が乾いてきたなと思うと、夜しっとりと雨が降って風景を洗い、朝には止んでくれました。

ここ一年ほど、自分の中で「物語」をつくることを恐れない気持ちを意識して育ててきました。その理由はここでは割愛しますが、この滞在制作で、作品の「物語」に血肉が通ったのは、協力してくださった皆さんのおかげだと思っています。本当にありがとうございました。

展覧会初日にも来てくださった近所の女性が一人、最終日に「もう一度見ておこうと思って」と、映像を流している蔵に入っていかれました。
女性は、蔵の裏にある畑で花を育てている方でした。その花畑はすごく整えられているわけではなく、自由さがあり、少し立ち止まって花々の奔放さをそのまま眺めたくなるような場所なのです。そして、そこは自分たちが最後に撮った場所でもありました。
明け方に撮るべきカットを撮り終え、帰り道、はりつめた気持ちをほぐすような感じで、なにげなく、その花畑に向けて三脚を立てカメラを回しました。すると、偶然向かいの山から朝日がのぼってきました。少しずつ風景に光が配られていく過程で、植物のなかにある水分がぶわっと立ちのぼるのを見た気がしました。誰が見ていても見ていなくても、これが毎朝起こっていることなのだと思いました。女性が、どんなことを思って作品を見てくれていたかはわかりませんが、花畑を作った彼女に、この映像を届けられたことをとても嬉しく思いました。

出来上がった映像作品が、あの風景の只中に生きるひとたちに喜んでもらえたことを、誇りに思います。喜ばせたいというようには露ほども思わず作ったので、なおさらです。
そして、この作品は現場で起こったことを忘れた顔をして、時間を経ること、またいろいろな場所でいろいろな方々の目にさらされることで、遠くまでいくことを願います。できるだけ遠くまで行けるよう作ったつもりですが、、またどこかでご覧いただける機会をもてるよう、がんばります。

ずっと避けてきたワークショップも、皆さんのおかげで二つ実現できました。
苦手な気持ちはどうにも変わりませんが、こうすればよかった、などの思いが生まれつつあり、これは自分には大きな変化です。

なんだかまとまりがありませんが、最後に。
このAIRを実現したエアライト高知主宰の二組のご夫婦、作家選定の際に推薦してくれた太田市美術館・図書館の小金沢智さんは、それぞれに、忙しい生活のなかで、いかなるときも制作を支えてくださいました。
とくに、発案者であり一番そばでサポートしてくれた西奥起一、栄利子夫妻には、アートに心を奪われてしまったひとが、どう人生を使ってアートと生きるかを学びました。
続けることはけして簡単ではなく、来年もなにかが成されることを当たり前とは思いません。今回のすべてに感謝するとともに、ただただ、彼らのあらゆる挑戦を応援し、楽しみにしていきたいと思います。
そして、毎日仕事もしながら、終わりの見えない撮影を、ひたすら続けてくれた夫にも感謝と好物の唐揚げを。

 

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高知での制作の様子を綴っていきます。

-4日目-

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(AiRLiteKochiのfacebookから)

今日は朝から近所の方々のお力を借りて、フラフを揚げる長さ12メートルの柱を、立てる作業を行いました。本来は、4~5月に立てるもので、この時期に立てるのは異例。しかし、これが立たなければ、作品じたいが成り立たないので、柱をお持ちの近所のTさんにお願いしたところ、二つ返事で了解してくださったのでした。

最初に予定していたカメラの位置では入りきらない高さで、急遽位置を変更しつつ、皆さんが声を合わせて柱を立てて行く様子をおさめました。試しに揚げたまっさらのフラフがはためいて、皆さんが「きれいやねー」って声をあげたのが、とても嬉しかったです。

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