鳩の運ぶ枝、屋上の靴

ネット上の署名やクラウドファンディングなどの情報が、次から次へと目に飛び込んできて、これを選んでこれを選ばないとか、なんの根拠で自分がそんな選択がするのか本当のところわからないが、目立っているからという理由ではない自分なりの何か理由を組み立てて、なんとか立って見えたものに名前やわずかなお金を送信している。画面越し指先だけでなにをやっているのかという気持ちがこみあげるけれど、結局できることがそれならばそれをやるしかない。

前にデモに参加したときも、帰り道、体だけで持ってきているだけでなにをやっているのかという気持ちがこみあげて、それ以来足を運べていない。でも、今となっては体をそこに持っていけるだけでもちがうじゃないかと思える。

2015年にフランスのパリとサン=ドニで同時多発テロがあった直後、集会やデモが禁止され、それでも人々が連帯をしめすために多くの靴が並べられた報道写真を見た。そのことをずっと考えている。

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この2ヶ月外壁の塗り替え工事のため、自宅に足場が組まれていた。
外出自粛期間と重なり、私は横への移動ができない時間に、縦への移動をして撮影していた。そこには鳩が巣を作りにやって来て、私たちはそれぞれの仕事に励んだ。

今は制作/実践 → 作品 → 展示の間の距離がとても遠く感じられる。いったいなにが作品と呼ばれるものになり、そのうちのどれがどんな理由で展示までたどり着く権利を有するのだろう。これは、制作・実践が、他者に届けられるまでの距離のことでもあると思う。


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