6月

ブログって何書くんだっけ、、となるくらいになっていましたが、久しぶりにログインしました、なつかしきこの編集画面。 6月ですね、お元気ですか。

振り返ると、昨年度に研修生としていろいろ学んでいたRAMで、三月末にオンライン上映会が企画され、それに出品していました。RAMは東京藝術大学大学院映像研究科が実施しているノンディグリープログラムなのですが、学部や大学院なども予定を立てづらい状況なので、RAMも今年度の募集が大幅に遅れているもよう。とはいえ、もうすぐ開講されるとのことなので、ご興味ある方はぜひ覗いてみてください。私もインターンとして参加します。
RAM Association
「映像ドキュメンタリストの育成」とありますが、それはあくまでも事業目標として掲げている言葉で、内容としては、表現活動が社会にもつ意味をそれぞれの立場から深く掘り下げて考えられるような柔軟性のあるプログラムと思います。実際、映像を撮る方だけでなく、さまざまな方が、自分のペースで参加されています。

また、芸術批評誌『REAR44号 特集「Y/Our Statement〔私(たち)の声〕」』(リア制作室)に、短い「声」を載せていただいています。
「あいち」の作家として編集部からご連絡いたただいたことに最初は驚きましたが、中部地方のアートと向き合い、ていねいにネットワークを築いてきた編集の方への信頼がなにより大きく、書いてみました。
とにかく簡潔にと思い、短くまとめすぎていますが、あの紙面においてはトリエンナーレのエデュケーションプログラムへの敬意をもっとも記しておきたく、それについて書いています。友人の鈴木孝幸さんの声も載っています。さすが揺るぎのない姿勢で書かれていて、勝手に嬉しくなりました。

そして、緊急事態宣言下にあった4月の終わり、お世話になってきたギャラリーHAMの神野公男氏が亡くなられました。HAMの長い歴史の中で、自分が関われたのは本当にわずかな時間だけという感覚ではあるのですが、神野さんの芸術への血肉の通った思想にしても、ギャラリーでおしゃべりする時間にしても、あの特別な空間で作り見せることの緊張感にしても、忘れがたい特別なものとして自分に刻まれています。きっとまちがいなく天国でも膨大な読書を楽しまれていることと思います。心よりご冥福をお祈りいたします。


ここのところの私自身の制作はというと、より個人的なものとなっています。作ることは非力さを思い知る行為ですが、その非力さにはくっきりとした姿形があり具体的であることが、今はとても大切に感じられます。欠落したものの形ではなく、わずかでもその欠落を欠けさせているものの形といえばいいのか。それに相反するようですが、実はそうではなくて、広くて大きな作品がそろそろ作りたくなってきました。

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