赤い首のキリン

群馬の太田に行って来た。免許をとって初めて高速に乗る。降りた時には筋肉痛で、そんなに緊張してたんだなと思ったけれど、前日にスクワットをしたせいだった。目的は太田市美術館図書館の「「佐藤直樹展:紙面・壁画・循環」(6/29~10/20)と、金山ハイキング。

佐藤直樹展、まず圧巻なのは、氏が手がけたエディトリアルデザインの数々。雑誌という即効性のある、ある意味永久性を求めないメディアの、気持ちが良いほどの鮮烈さに夢中になった。革新的な社会の動向、思想やテクノロジーについて、一目でその新しさを伝えるように誌面をデザインしていくことは、すごいことなんだとはっきり実感した。うちは雑誌が好きで割とよく買う家だと思うけれど(さっき永久性を求めないって書いたが、自分は気に入った雑誌をぜんぜん捨てられない。中高生の頃からずっと)、ただめくっているだけでは、それはほとんど気づけないことだった。そうした現場の第一線で仕事をしてきたひとが、今、木炭という素朴な素材で、終わらない絵を描いている。今回の展覧会のために佐藤氏が太田を訪れ、渡良瀬川などを散策し、その経験が絵に生きているという。一枚ごとの絵に、そのときの経験や環境が反映されることはよくあるけれど、氏が描いている一続きの風景というなかでそれが起こっているわけだから、これはとても面白いことだと思う。

ジャンル分けから考えれば、氏はデザイナーからアーティストに転身したと言えるが、そうではなく、その都度の環境や状況に全力で対峙してきたことによる必然といえないか、というような企画者の解説文があった。作家に対して、まず肩書きのない人間として、その底にある腑分けできない感情のようなものを理解していくことが、人類がこれほど長く続けてきた表現というものの意味を露わにするもっとも的確な道なのだろう。

そのあと、前から登ってみたかった金山に向かった。金山は赤松が多く、下から見ると赤い首のキリンがたくさんいるように見える。それだけで私は大好きになってしまった。蜘蛛の巣も大作揃いで感嘆し、樹々の奥から姿の見えない鳥がグアラグアラと鳴いていて、その鳴き声をマネをしながら歩みを進めた。

帰りはイオンモールにある大型銭湯に寄る。湯船にはいるときの人の体の動きというのはなかなかいいものだなと思う。それは舞台に上がる人たちのようだった。車のラジオでは堀潤の番組がやっていて、香港のデモに取材に行ってきたときのことを報告し、これからも関わり続けますと落ち着いた深い声で結んでいた。

この日の朝、あいちトリエンナーレに、文化庁が交付予定だった補助金を出さないという報道を見て、目の前が真っ暗になるような気持ちで出発した。行く先の作品や景色や食べ物、出来事を楽しみながら、ふとしたときに怒りと情けなさがこみ上げてきた。今日見たものとこの感情は紐付けられて、この国は、口と耳のある市民を必要としていないことをもはや隠さないのだと、風景とともに胸に刻んだ。

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