音楽

パフォーマンス「束ねと解け」では前日まで音楽を使うか迷っていた。ギャラリーで延々と草を束ねている時や、当日の動きを考えている時、候補としていたバッハの無伴奏チェロ組曲の4番と6番を交互に流していた。弦楽器の弦を移動していくその音の質やチェロの音域が、作品によく合っていた。音楽が空間を満たす感覚はすばらしく、作品の力になってくれるだろうと思った。でも、というか、だから、というか、結局使わないと決めた。

演奏は最初、既に持っていたパブロ・カザルスのものを使おうと改めて聴いたらあまりに重かった。たしかにカザルスは眠れない夜に聴こうとしたら逆効果となるほど、聴いていると胸が詰まるような気持ちになる。そこで、新しくヤーノシュ・スタルケル、アンナー・ビルスマも聴き比べてみた。これが同じ曲だとは思えないほど違って、特にビルスマは個人的に大好きになった(パフォーマンスに使うのはスタルケルの方が合っていた)。詳しくはないけれど、バッハはこのような音楽を思いながら、この曲を書いたのではないだろうか。今も聴いているけど、最高だ。

昨年見たリヨンビエンナーレでは、かなりの数のインスタレーション作品に音がついていた。作品のコンセプトからいえば、とくになくてもいいんじゃないかと思われるものにも、無機的な音がスピーカーで加えられていた。それはつまり、空間を支配する、演出する範囲を明確にすること(音だから明確というのはちょっと違うかもしれない)がアートというものだからなのだと、言われている気がした。

インスタレーション作品には、どこまでが作品でどこまでが作品でないのかわからない気持ちになるようなものがある。日本にいるからか、そういう作品に会うことは多い。それが作品が場所に負けてしまっている時は別として、肯定的にも感じる。しかしリヨンで見た作品はそのようなものはなかった。そのことがずっと心に残っている。

 

 

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