アコーディオン

先週mama!milkの生駒祐子さんの素晴らしいアコーディオンを聴いた。

楽器は少しふいごに似ていて、火じゃなくて音楽を熾していた。

楽器が開くときと閉じるときの音の性格がまるでちがっていた。アコーディオンもそうだけど、弦楽器とかハーモニカとか、往復で音がでるものを聴くとき、管楽器とはまたちがう呼吸を自分は感じるのだなと思った。もしかしたら、喘息の発作のとき、吸う時も吐く時もヒューヒュー音がでるからだろうか。

メロディーを思い出すことができない、しかし、そこで音の響いた空気がまるっと心に残っている。そんな音楽の聴き方が許されるのかな。でももっと正直に書くと、空気がオコーディオンや演奏者の肺に吸い込まれ、また吐き出されることに目と耳が猛然と惹きつけられていた。それは二つの呼吸している一つの生き物としての音楽があった。

演奏の前に、生駒さんがこれまでの活動や音楽についてのお話も聴かせてくれた。産毛一本一本まで感性のような方であり、ご自分でもそうしてこそ、そうでなければ音楽を作り奏でられるだろうかという、しかしごく自然な覚悟をされている感じがした。

実はこのライブは、ある大学の哲学の授業の一環で、私は聴講させてもらったのだけど、そこで相席になった学生さんとも話した。一人は医学を、一人は物理を学ぶ若者だった。美術を学ぶひとはもちろんのこと、こうした違う分野を志すひとが、芸術や哲学から栄養を得ていること(得られると思っていること)が素直に嬉しい。

3人とも理系と文系の両親をもつ家庭に育つという共通点に気づき、あるある話でちょっと盛り上がった。名前も聞かず別れた、あの二人のこれからの人生に、幸多かれと願う。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中